物事の捉え方

今回日本の教育がどうなっていくかというお話から少しそれるような気がしますが、日本の教育が宗教争いを食い止める一つの方法になるかもしれないということをお話しします。

いきなりですがみなさん。次のお話をご存知でしょうか。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」
この表現を、日本人が聞くのと海外の人が聞くのでは捉えかたが違うというお話です。

和と洋の考えの違いとして、物事をとらえる目線の違いがあると考える。

ではどのような違いがあるかを具体的に紹介します。
この例は、ノーベル賞作家の川端康成の「雪国」の冒頭である。

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
この表現、日本人が聞くと図のように想像しますよね

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これ、海外の人は違った表現で捉えるんです。
海外の人に

The train came out of the long tunnel into the snow country.

というと、次の図を想像するそうです。

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この例を見て、なるほどとなりますよね。
日本は「虫の視点」をしているのに対して、海外は「鳥の視点」をしている。

この例が宗教争いと何の関係があるのだとみなさん感じると思います。
大いに関係があるように思えます私には。

上の例からわかるように、海外は「鳥の視点」で物事をとらえています。
これは、宗教でも見られる現象です。
絶対神をもっている。つまり、一つの神だけが存在していて、その神の言うことは絶対だということです。
対して、日本にはそのような考えはもともとありませんでした。
八百万の神というように、万物に神が宿るという考えです。

海外の絶対神の考えは、他の神を許すことができないようになっていると感じるのです。
だから、「お前たちの神が考える思想は、我々の神がお持ちになることはない、だからお前たちの考えは間違っている」というように、他の宗教感を否定し始めるのです。
そのことが宗教の争いを生む。
しかし、ここで日本の考えを適用してみてはどうでしょうか。
万物に神が宿るのであれば、イスラムの考えも、キリストの考えも、仏教の考えもすべて大いに考えられる神のお考えです。
他の宗教を否定することなく、イスラムの人がキリストの考えを理解する。こんなこともできるのではないでしょうか。
万物に感謝の気持ちを持ち、他を許す気持ちを持つ。それこそが宗教の形だと考えています。

宗教の争いではなく、スポーツなどで自国は強い、私は強いとアピールすべきです。

話がそれましたが、日本が今後時世に伝えていくべき物として、「万物に感謝の気持ちを持つ」ということが、日本の争いましてや、世界の宗教争いを解決していく大きな考え方になるかもしれませんね。